「あの人は頭が良いから」という表現について
仕事をしている中で、この人は優秀だと感じる人に出会うことがありますが、
そのような感想を別の人に話した時に、「あの人は頭が良いからね」という
相づちを打つ人がいます。
そういう相づちを打つ人が、
褒めるつもりでそう言っているのか、そうでないのかが僕にははっきりしません。
「あの人は頭が良いから」という表現の中には、
「頭が良いから努力しなくてもできる」であったり、
「自分ができない理由はあの人ほど頭が良くないから」といった、
ネガティブな思いが含まれていると僕は感じてしまいます。
僕からすれば、いわゆる優秀な人たちは圧倒的に努力しており、
仕事に真摯に取り組み続けている結果として素晴らしい成果が出ているのであって、
頭が良いから結果が出ている、などという単純な理由ではないと思っています。
「あの人は優秀だから」と話す人たちは、
何故か自分たちが優秀な人たちとは別の世界に属していて、
その理由は元々の頭の優劣の結果として分かれてしまっているだけで、
自分が努力したかどうかとは無関係なんだ、と考えているのではないでしょうか。
僕は、一部の例外を除いて、
元々の優秀さというのはほとんど変わらないと思っていて、
あとはどれだけ努力したか、という差でしか無いと思っています。
その努力を放棄するための便利のフレーズとして、
「あの人は頭が良いから」とか「才能があるから」という言葉が
あるように思えて仕方ありません。
そのような態度で取り組んでいるうちは、
おそらく何も達成できないと思いますし、
仮に、元々の才能に差があったとしても、
それを覆せるだけの努力をすることができるのだと思います。
オリンピックのように世界の中で1位になるには才能が必要なのかもしれませんが、
日本人の上位5%(約600万人)に入るレベルであれば努力で何とかなると考えています。
努力が足りないからダメなんだ、とプレッシャーをかけるのも問題ですが、
早々と才能の問題に帰着してしまうことにも抵抗を感じます。
才能の問題で片付けてしまうと、大多数の人が何もしない方が良い、
という結論に達する可能性もありますし、
そのような結論に至ったところで何も得るものはないでしょう。
それであれば、努力すればできる、と考えて、
前向きに取り組む方が、何か成果が出る可能性があります。
やるだけやってみて、それでも結果が出なければ、
努力する対象を変えて取り組み直せば良いだけの話です。
少しスパルタっぽい主張になってしまいましたが、
今やっていることに全力を傾けることが大切なのだと思います。
「あの人は頭が良いから」と話す人たちには、
その姿勢が決定的に欠けているように感じました。
努力できるのも才能なんだ、と言われてしまうと、
それまでのような気もするのですが。。。
それでは。