orangeKid's blog

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社会の変化と個人の変化

 

以下の記事を読んで考えるところがあったので、少し書いてみたいと思います。

「年の取り方がわからなくなった社会」と「コミュニケーション能力」 | 熊代亨

 

まず、冒頭にある

「三十歳が子供っぽいのではなく、あなたが子供っぽいのではないんですか?」

という問いかけですが、

社会が変化していく中で、実年齢に求められる成熟さは変化するものだと思うので、

今の三十歳が必ずしも50年前の三十歳と違っていたとしても不思議ではありません。

 

例えば、元服という儀式がありますが、5〜6歳で行う場合もあり、 

今で言えば子供のような年で、一族を率いる立場になることもありました。

 

そのような観点で考えると、

年齢と成熟度というのは極めて社会的な背景に左右されるものですし、

各個人の生活環境によっても異なって当然なのだと思います。

 

個人によって異なるという意味では、

「あなたが子供っぽい」という指摘は正しいのですが、

著者の主張では色々な立場の人を一括りにして議論していることに違和感を覚えます。

 

 

また、もし全体としてそのような傾向があったとしても、

それ自体が問題にはなり得ないと僕は考えています。

 

コミュニケーションの方法が以前と変わるのは当たり前ですし、

もし、コミュニケーションを取るのが不得手な人がいたとしても、

それは今新しく発生したものでは無く、過去から継続的に存在していました。

 

むしろ、過去においては不得手な人間についても、

強制的にコミュニケーションを取らせていた、という意味においては、

当人達にとって、今よりも過酷な状況であったと考えることもできます。

 

そういう人間にも誰かがコミュニケーションを取る事で、

 彼らが成熟した大人になれたのだ」と主張するのは勝手ですが、

それはただの懐古主義でしかないように思います。

 

また、インターネットを介してマイノリティと言われる人でも仲間を見つけたり、

ブログやツイッターを通して意見交換する場がある等、

見方によってはコミュニケーションツールが充実し、

人々の繋がりはより強く、広くなったと考えることもできます。

 

今あるツールを使ってどうやって良好なコミュニケーションを取るのか、

を考えるのは有益なことだと思いますが、

昔は良かったのに、今は何故こんなことになったんだ、と嘆くのは、

愚痴でしかないと思います。

(個人的にやっていただく分には構いませんが。)

 

僕は今が一番良い社会だし、未来はもっと良くなると思っているので、

仮に大人になるのが遅くなっているとしても、

それに合わせて社会システムを変えて行けば良いと考えてしまいます。

 

それでは。

 

私の個人主義 (講談社学術文庫 271)

私の個人主義 (講談社学術文庫 271)