orangeKid's blog

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続•マイノリティであることについて

 

昨日のエントリでは、

自分が意識しないうちにマイノリティになってしまうことに対して、

小さいころはとてもコンプレックスがあったこと、

また、大人になってからはマイノリティであることに対して抵抗が無くなったこと

について書きましたが、その続きを書きたいと思います。

 

 

面白いことをやっている人がマイノリティに属していることが多いと考え、

コンプレックスが無くなったのは良かったのですが、

マイノリティに属しているから面白いことをやっているんだ、

という勘違いを当時の僕はしてしまいました。

 

やっていること自体の価値とは関係なく、

みんながやっていないことをやっているのだから価値がある、

なんて考え方は周りから見たら迷惑この上ありません。

 

当時の僕は、基本的にみんなの意見に賛同せず、

みんなから反対されると嬉しくなる等、

本来は副次的な要因であるマイノリティかマジョリティか、という問題が、

価値そのものと直結していました。

 

これも、今だから冷静に振り返ることができますが、

当時の僕にとってはかなり重要な判断基準になっていたことを覚えています。

 

 

当然ですが、面白いことをやっている人は、

マイノリティだから面白いわけではありません。

 

面白いことをやった結果、マイノリティになっている可能性があるだけで、

もし、それがマジョリティであったとしても、面白いことに変わりはありません。

 

マイノリティであることが価値と直結している場合は、

ただ奇をてらったことをしているだけで、継続させるのは難しいと思います。

 

 

少し話が抽象的になってしまったので、Apple製品を例にして説明してみたいと思います。

 

iMaciPodを発売する前のApple製品は、シェアでいうと数パーセントしかなく、

今では信じられませんが、一部の愛好家が使っているものでした。

 

僕もその1人なのですが、

当時はみんなが使っていない、というところに一定の価値があったように思います。

 

しかし、ご存知の通り、今や誰もが何かしらのApple製品を持っているのではないか

という位普及し、Apple製品を持っている人は立派なマジョリティです。

 

しかし、どのようにシェアが変化しようと、

Apple製品の良さは昔から変わっていません。

 

普遍的な価値というのは、シェアによって変わるものではありません。

 

もし、当時の勘違いした僕が今いたら、

間違いなくiPodではなくZuneを使っていたと思います 笑。

 

 

良くある勘違いなのかもしれませんが、少なくとも僕なりに色々苦労をしたおかげで、

今はニュートラルに物を考えることができているつもりです。

 

ただし、マジョリティや大衆というのは非常に大きな力を持っているので、

そのような力とどのように対峙していくか、もしくは味方につけるか、

ということについては考えを巡らせておくべきだと思います。

 

それでは。

 

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