ヴェートーヴェンが偉大なのは耳が聞こえないからではない
佐村河内さんに関して、障害の有無やゴーストライターによる作曲、
フィギュアスケートの高橋選手が自分の演技に曲を使用する等、
複数の要因によって大きなニュースになっていますね。
佐村河内守さんの「耳が聞こえないと感じたことはない」 ゴーストライター新垣隆さんの会見全文
色々なところで話題になっているので、ちょっと気が引けるのですが、
他のニュースではあまり議論されていない切り口で考えてみます。
まず、大前提として、
障害者であることを偽った点に関しては、弁解の余地は無いと思います。
障害者保険の利用等の法律的な側面はともかく、
実際に障害に苦しんでいる人がいる中で、自分も同じ障害を抱えている、
という嘘をつくのは道義的に許せないことだと考えています。
次に、自身で作曲しているかどうかについては、
世の中にゴーストライターという仕組みがある通り、
個人的には大きな問題だと思っていません。
過去の出版物や楽曲について網羅的に調査すれば、
同様の事例は沢山見つかると思います。
そこは当人とゴーストライターの契約の問題でしかないので、
良い/悪いで論じるポイントではありません。
さて、ここからが本題なのですが、今回のニュースを見て僕が感じたことは、
耳が聞こえないことが音楽家としてのブランディングに寄与するのかどうか、
ということです。
僕は、クリエーターの障害やハンディキャップは作品の評価に影響しない、
という考えを持っています。
例えば、ヴェートーヴェンの音楽が素晴らしい、ということに対して、
彼の耳が聞こえないことは僕にとっては全く関係がありません。
皆さんは、ヴェートーヴェンの音楽を聞く時に、
耳が聞こえないことを念頭に聞いているのでしょうか。
「ショパンの曲も素晴らしいけど、彼は耳が聞こえていて、
一方、ヴェートーヴェンは耳が聞こえないのに素晴らしい作品を作っている。
だから、ヴェートーヴェンはすごいなぁ」
という感想を持つ人がどの程度いるのでしょうか。
僕は、その作品が素晴らしければ、
作曲者の耳が聞こえようが、聞こえまいが、どっちでも構いません。
耳が聞こえるからといって評価を下げることもなければ、
聞こえないからといって評価が上がることもありません。
そのため、もし、佐村河内さんが耳が聞こえないことで、
自分の作品の評価が上がると考えているとすれば、それは芸術に対する冒涜ですし、
自分の作品のレベルが低いことを認めているようなものです。
本当に才能があるクリエーターは、
自分がどのようなハンディキャップがあっても素晴らしい作品を生む為に努力し、
その結果、生まれた作品について説明する時に、
自分のハンディキャップをアピールすることは無いと思います。
今回のニュースは色々な要因が混ざっているので、
どのような観点で彼に罪があるのかをよく考える必要がありますが、
「耳が聞こえないからすごいと思っていたのに」という指摘は、
少し的外れなのかな、と思いました。
まあ、厳密には彼の作品ですら無いので、その指摘をすることもできない訳ですが。。。
ニュースを見ていてそんなことを考えていました。
それでは。
- アーティスト: バックハウス(ウィルヘルム),ベートーヴェン
- 出版社/メーカー: ポリドール
- 発売日: 1999/06/02
- メディア: CD
- 購入: 1人 クリック: 15回
- この商品を含むブログ (18件) を見る
- アーティスト: シフラ(ジョルジ),リスト,シフラJr.(ジョルジュ),パリ管弦楽団
- 出版社/メーカー: EMIミュージック・ジャパン
- 発売日: 2004/12/08
- メディア: CD
- クリック: 2回
- この商品を含むブログ (9件) を見る
- アーティスト: シフラ(ジョルジュ),リスト,ショパン
- 出版社/メーカー: マーキュリー・ミュージックエンタテインメント
- 発売日: 1999/07/23
- メディア: CD
- クリック: 2回
- この商品を含むブログを見る